乗船日数1000日のクルーズアドバイザーブログ

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〜「旅づくりの職人」の原点は32年前、スイスからでした〜


1991年1月25日 此れが私の「旅づくりの職人」を目指す原点。 
列車はスイス国営鉄道。 


今でもはっきり映像が蘇るが、日本出発前日に「湾岸戦争」勃発。 
春から中内功氏が創業したダイエー旅行事業部に就職内定していた事もあり、両親は身の安全を鑑み渡欧を諦めるよう、自宅を出る朝、最後の最後の玄関口まで私を説得していた事も昨日の様に思い出される。 


この年齢になると、当時の「親の気持ち」は痛いほど解る。 


ツーリズム産業に身を置き32年。
親反対押し切ってまで湾岸戦争最中にヨーロッパを歴訪しておいて良かった。
私の人生を決定づける全ての原点だ。 


 

写真はスイス グリンデルワルド玄関口 インターラーケン・オスト駅。 
創業以来毎年出かけているスイス鉄道の旅。
今も昔も此処が「旅づくりの職人」の原点だ。   


写真は32年経過したインターラーケン・オスト駅と小生。 

「旅づくりへの飽くなき執念」は全く変わっていなかった自分と出会えた。



今日から一週間「スイス鉄道で巡る アイガー山麓グリンデルワルドで暮らす様に旅をする」 
暫くお付き合い下さい。

〜中部国際空港フライ&クルーズハブ拠点構想の必要性を解く〜その③


昨日中部国際空港セントレアホールで開催された、NPO「知多から世界へ」講演会inセントレア。


地元選出の伊藤忠彦衆議院議員、金子国土交通省中部運輸局長、西尾国土交通省中部地方整備局副所長をご来賓にお招きし、公益社団法人日本港湾協会大脇理事長が講師となり、「港の課題と中部国際空港への期待」と題しての講演会。 

此れ迄、「中部国際空港フライ&クルーズハブ拠点構想」に関しては孤軍奮闘で来ましたが、此処に来て御来賓の方々の挨拶、講演会にて要職担う方々異口同音に「フライ&クルーズ」という言葉が発せられ、隔世の感を禁じ得ませんでした。 


クルーズは地方創生の最後の切り札。漸く時代が追いついてきた。 
中部国際空港に世界の約4000万人のクルーズ愛好家を「空」からお招きし、ふるさと愛知県はもとより中部圏、ひいては観光立国目指す我が国の大きなエンジンになって日本経済をクルーズで牽引してもらいたい。  



要職担う方々より、カーボンニュートラル 水素エネルギーの話題もかなりでた。 
私どもTOUR STATIONのメインシップVIKING社は、クルーズ業界に先駆けて既に水素エネルギーによる北極、南極を航行するエクスプローラー船を造船している。 

 
愛知県は世界に冠たるモノづくりメーカーの集積地。 
国際空港に国際クルーズターミナルが一体化の世界初の空間を作り上げ、世界初の水素エネルギークルーズステーションを作り上げる。 
壮大な実に夢のあるプロジェクト。  


 

全力で仲間とやり遂げたい!

〜中部国際空港フライ&クルーズハブ拠点港の必要性を解く〜その②


中部国際空港にて地元常滑商工会議所、市議会議員、中部圏インバウンドセールスプロジェクト、愛知インバウンド協会など様々な団体のリーダーの皆様とご一緒に考える機会に恵まれた。    

クルーズ業界関係者として、地元愛知県に世界のクルーズ愛好家に支持されるクルーズ客船が入港してくる事は本望だが、中部国際空港空港フライ&クルーズハブ拠点はあくまで手段。 


真の狙いは、かつて旧名古屋国際空港に世界各地から就航していた各国を代表するナショナルフラッグの再就航。 


私が旅行業界へ入った頃とはインバウンド、アウトバウンドの構造も全く変わり、今や撤退した国々から我が国日本を訪れたいという需要が圧倒的に強い。 


此れだけ大それた話は私ども如きがとやかく言ったところでどうしようもない。 
しかし、此れ迄旅行業界に32年携わり多くの皆様と関係を築いてきた。 


そうした経営者仲間と中部圏のツーリズムにおける核論を共に考える事は大切ではないかと思う。