乗船日数1000日のクルーズアドバイザーブログ

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初代飛鳥と飛鳥Ⅱ物語 その③

一時は北米を中心に世界のクルーズ愛好家に支持された「浅間丸」「照国丸」などの客船を有していた日本郵船は、戦後完全に客船事業から撤退をしていた。しかし客船事業をもう一度復活させる!という男が現れた。第14代日本郵船社長、宮本公夫氏だ。


しかし客船事業から撤退して25年、オイルショック等、役員らは「客船事業復活」には猛反対。しかし、宮岡氏は日本郵船の会社経営再建の命運をかけ、役員らを説得、そして「もう一度クルーズ愛好家に支持される最高の客船をつくって世界に挑戦しよう!」と当時北米クルーズ市場で凌を削る大型クルーズ船のカジュアルクルーズではなく中型クルーズ船で世界トップレベルのLuxuryクラスを狙って事業に挑んだ。


三菱重工長崎造船所で当時の技術を結集させて作り上げたクリスタル・クルーズとしての第一船「クリスタル・ハーモニー」がアメリカ・ロスアンジェルスからデビューしたのは1990年7月20日、そして世界トップレベルのサービスのクリスタル・ハーモニーで日本人オフィサー達が乗り込み先ずはクルーズの本場アメリカでトレーニングを積み、翌年1991年の初代飛鳥デビューに備え、満を持して1991年12月24日横浜港より処女航海へ。以後クリスタル・セレニティ、クリスタル・シンフォニーと世界トップレベルのクルーズ愛好家に支持されるクルーズ船を投入し、見事に、日本郵船は戦後長らく途絶えていた客船事業を見事に復活させた。

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